どうも、シーサーとシークアーサーを完全に忘れてた矢野です。 沖縄と言えば 南国の時間の緩やかな場所をイメージする人が多いと思いますが、今から70年前の沖縄は太平洋戦争の激戦区であったのを忘れてないですか? 正直に話しますと僕は沖縄に車では頭の隅にあったか無かったかぐらいでした。 以外と知らないのは、シュガーローフの戦いでシュガーローフの戦とは1945年(昭和20年)5月12日から18日にかけて行われた沖縄戦における戦いのひとつ。この地点は日本陸軍の首里防衛線の西端に位置しており、守備隊の独立混成第44旅団配下の部隊が、進撃してきたアメリカ第6海兵師団と激戦を繰り広げた。
日本軍は、シュガーローフ、ハーフムーンとアメリカ軍が呼んだ2つの丘と、ホースシューと呼ばれる背後の馬蹄形の斜面を巧みに連携させた防御陣地を構築し、アメリカ海兵隊を1週間にわたり撃退しつづけた。シュガーローフの丘は戦闘が行われた1週間で11回も持ち主を変え、ハーフムーンに至ってはアメリカ軍に主導権がわたることは一度もなかった。この戦いで海兵隊側は、2,662名の戦死傷者と、1,289名の戦闘疲労患者を出したとされる。日本側の損害については、この戦闘に限った統計がないため明らかではない。このように今は華やかな那覇市が70年前には想像つかないほど変わっているのです。 何故長々とこんな小言を言っているかというと、僕は今日海軍司令部豪とひめゆりの塔、平和記念公園へ行き沖縄戦の悲惨さや、やりきれない思いに触れて、平和とは何か、私達の平和が太平洋戦争という大きな代償の上に成り立っていることを、忘れず後世に伝えていくためには、私達が出来ることはひめゆりの塔や平和記念公園へ行き、現地で何が起きていたのかを知っておいて欲しいです。 長々と読みずらい文書を書いてすいません。